2005年10月

全国約21万軒、山梨約2000軒の美容室があります。人口比率にすると、ものすごい競争率の中で来月11周年を迎えようとしています。10年以上お客様から支持を受け続けられている事に毎日毎日感謝の想いです。本当にありがとうございます。

高校を卒業後すぐに横浜の美容室に就職、女性経営者との確執やいじめによる体調不良などで山梨に戻り、その後もイヤな想いをしながらも美容師という仕事に誇りを感じられるようになりました。

20歳で結婚したものの、テレビも電話も車も無い生活が続きました。昼食は30円のパン1個。それでも仕事は楽しく続け、ある日店長に任命されるようにまでなりました。4店舗ある美容室の店長で私が店長をする店はなぜか売上げが2倍になりました。美容室の経営者が飲食店を出店し、昼間は美容師、夜は飲食店の責任者として従事しました。でも睡眠時間はほとんど無く、やがてメニエール病で入院、医者からは 「このままの生活だとあと10年しか生きられないよ」 と言われました。その頃飲食店の売上げも3倍になっていました。自分でもマズい、と感じ出店を決意しました。現在大きな牽引力となっている弟の順一も同じ美容室に従事していましたが、相談し一緒に出店を承諾してくれました。心強い限りで一生で一番嬉しい参入でした。

開店することになり貸店舗を見付け長男を連れて内装の草案をしていると 「お父さんココは狭いネ」 と言いました。内装する前でしたので私には広く感じたのですがその時は 「そうかあ?」 と聞き流しました。開店5年後に客数増加による現在の場所への移転 (2倍の広さ) はその時知る由もありませんでした。

食事中長男 (当時小学3年) に店の名前は?と相談すると、「キリンハウス!ってのはどう?」 と。なぜか尋ねると 「お父さんがキリンの首のように永く商売ができるようにさ」 と。面白い意見だとは思いましたが子供っぽいとしか思いませんでした。

しばらくして今度はドライブしている時、また長男が変な事を言い出しました。 「お店を出してもお父さんは変わらないままでいてね」 さらに 「お父さんが死ぬんだったら僕の命をあげるからね」 突然の言葉に呆気にとられてしまいました。

開店準備も順調に進み新しい店に飾る絵を見に行こうと家内と出掛けました。途中ポケベルが鳴り自宅へ電話してみると信じられない母の緊迫した声。 「幸太郎 (長男) が大変だ、すぐ帰って来い」 台風で増水した荒川に流されたというのです。わけもわからず帰宅すると騒然とした感じで捜索活動で大勢の人がいました。荒川は声も聞こえないほどの濁流で捜索は難航。5時間後、あの濁流にしては近い所で発見されました。病院に運ばれましたが最悪の悪夢でした。その頃の記憶が所々飛んでいますが、学校から遺品が届けられランドセルの中に自由帳が入っていました。最後のページに大きく 「キリンハウス」 と書かれていました。

つらすぎて一家心中も考えましたが、次男がまだ保育園の年長で健気に頑張っている姿や、皆さんの励ましにより何とか出店にこぎ着けました。オープニングキャンペーンで山梨の美容室の記録となっている700人の行列が出来ました。整理券を配り1ヶ月半は700人のお客様を必死で仕上げるしかありませんでした。悲しんでいる暇も無いほどでした。 「幸太郎に喜ばれることをやっていこう」 と少しずつ薄紙を剥がすように壁を乗り越えてきました。

今、毎日こうして笑顔で仕事が出来るのも励ましてくれた方々がいるおかげ、何よりお客様の笑顔に助けられてきました。10年を経過し更に感謝と情熱で毎日を過ごせるよう、今回初めて掲載をさせていただきました。

どんな事にも挑戦する気持ちが 「キリンハウス」 という名前の由来となりました。日々新たなり!でスタッフ一同頑張って参りますので今後もどうぞ宜しくお願い致します。

                              2005年10月 KIRIN HOUSE 原田 賢

  ※ お店に飾ってある絵は幸太郎が小学1年生の時に
    山梨県で特選に入選し県立美術館に展示されたものです。

 

 
 

山梨 美容室トップページブログお知らせメニュースタッフ店名の由来ショップ案内お客様サポート

 

当サイトに関するご意見・ご感想・お問い合わせなどはこちらからお願いいたします KIRINHOUSE.